2009年06月14日

惑星(地球)内部には膨大な量の炭素が

惑星(地球)内部には膨大な量の炭素が存在するのが自然であり、一部分は炭化水素の形で存在している。炭化水素は岩石よりも軽いので、地表へと染み出してくる。この無機成因論に基づけば、一度涸れた油井もしばらく放置すると再び原油産出が可能となる現象を説明することができる。最近、この傍証が次々と見つかっているとされる。例えば、ベトナム沖、メキシコ湾岸油田のユウジン・アイランド330の超深度油田から原油がみつかったとのことである。これらは化石燃料では考えられない深さである。また、化石起源であれば、なぜ中近東にのみ偏在するのかの説明が付かないが、日本エネルギー経済研究所によれば、無機説であれば、プレートテクトニクスでサウジアラビアも他の油田も説明できるとのことである。また、プレートテクトニクスからは、日本は、超深度さえ掘削できれば、石油の宝庫となる可能性があるともされる。
星と光たち
オリンピックの驚き
海のお話
ウサギの秘密
めの付く言葉
音楽歴史
まの付く言葉
バレンタインデー
たばこ禁煙
酒に飲まれて
皮膚科学
為替
アーチェリー
ボイスドラマ
九州
カポエラ
ビオトープ
縄跳び
包装
ソフトボール


無機成因論の根拠としては「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる(深い地層に埋蔵されている)」「石油の組成が多くの地域で概ね同一である」「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」などがあげられる。 また、生物起源論が根拠としている、石油中に含まれる炭化水素の炭素同位体比を調べた結果、炭素数の少ない炭化水素ほど、質量の軽い炭素同位体を含む割合が多くなるという傾向は、地下から炭化水素が上昇する過程で、分子の熱運動により重い同位体が分離されたと説明することも可能だという。

また、トーマス・ゴールドの新しい説が2003年の Scientific American誌で発表され、それによると炭化水素は地球の内核で放射線の作用により発生するとされている。

2009年05月29日

ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々

古代・中世にはあてはまるが、近世以降では、キリスト教に改宗したユダヤ人(例えばフェリックス・メンデルスゾーンやグスタフ・マーラー)も無神論者のユダヤ人(例えばジークムント・フロイト)も一面では「ユダヤ人」と呼ばれるのが現実であり、特に19世紀以降の西欧では、民族を指す言葉と考えた方が良い、という人もいる。ハスカーラー、改革派などはドイツ人になろうとし、実際にそのようであった時代もある。

また、ヘブライ聖書の古い時代の「契約」には、異教徒・異民族との結婚を奨励しない思想もあった(実際の結婚生活がそうであったかどうかは別)。これは、共同体維持のためとも考えられる。しかし実際問題として、ナチス台頭直前のドイツにおいてユダヤ教徒の7割近くはキリスト教徒と結婚している。
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一般的にナチスはユダヤ人を肌の色、容姿など人種的なものとして扱ってきたように思われているが、実際のナチスの法(ニュルンベルク法) による概念では人種ではなく宗教の属性による分別が行われている。

なお、現代イスラエル国家は「ユダヤ人」とは「ユダヤ教によって定義された集団」とさせている。移民手続や要件を定めた帰還法によれば、母親が「ユダヤ人」であるか、ユダヤ教に改宗した人のこととされる。一方、トーラーによると、ユダヤ人であるためには母親がユダヤ人でなければならない。イスラエル国内においては、主に女性のための改宗セミナーが行われており、数多くある戒律を学び試験を経て割礼あるいは沐浴をすることで移民法の適用を受ける「ユダヤ人」とみなされる。 結婚に関する手続が教会、ラビ裁判所やモスクなど宗教的機関に委ねられており、異教徒同士の結婚が難しい(海外において非宗教的手続で婚姻手続をとったカップルはイスラエルでも夫婦としてみなされる)。 正統派、超正統派は改宗者を「ユダヤ人」とは認めていない。[

2009年04月25日

フラーテス4世

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前王オロデス2世の息子として生まれた。オロデス2世には30人もの男子がおり、後継者として筆頭格にあったのは兄のパコルス1世であった。しかしパコルス1世はローマ領への遠征の途中、紀元前38年のギンダロスの戦いの敗戦で戦死してしまった。パルティア軍がローマ軍に大敗を喫すると、父王オロデス2世の権威は失墜した。

フラーテス4世は父王オロデス2世を暗殺し、パルティア王に即位した。フラーテス4世は即位するとすぐに兄弟の大半を殺害して政権の安定を図り、ローマ軍の侵入を撃退した。しかし反フラーテス4世派はローマに支援をもとめ、マルクス・アントニウスはこれに応じて10万人の兵力を持ってパルティアに侵入、パルティアの従属王国の1つアトロパテネの首都プラースパを包囲したが、フラーテス4世はローマ軍の補給部隊を襲撃してこれを撤退に追い込んだ。アントニウスは撤退を完了するまでに兵力の3分の1を喪失したという。

ティリダテス2世の反乱
ローマとの戦いが一段落すると、紀元前31年頃にティリダテス2世が王を名乗って反乱を起こした。フラーテス4世はこれを鎮圧に向かったが敗北してスキタイの下へと逃走した。そして翌年、スキタイの支援を取り付けて再度ティリダテス2世を攻撃し、今度はこれに勝利することができた。ティリダテス2世はローマへと逃れ、ローマの支援を受けて紀元前26年初頭にパルティアへ帰還し、バビロニアを支配下に納める事に成功したが、フラーテス4世は同年半ばには再び反撃に出てティリダテス2世を駆逐した。ティリダテス2世は尚も再起を目指して軍を集め、紀元前25年に再びバビロニアへ侵攻してセレウキアを占領したが、同年中に敗れてその権力は完全に失われた。

イタリア人女奴隷
ティリダテスの反乱の後、更にミトラダテスの反乱が発生し、フラーテス4世はその対応に追われた。こうした国内の混乱の中で、ローマの圧力をかわすべくローマで権力を握ったオクタウィアヌスとの講和が志向された。この結果、妻の1人ビステイバナプスとその間に生まれた4人の王子をローマへ人質として出し、更にイタリア出身の女奴隷ムサを妻とすることになった。ムサとの間には息子フラーテス5世(フラータケス)が生まれたが、ムサは自分の息子を王位につけて実権を握ろうとし、フラーテス4世はムサに暗殺され、フラーテス5世がパルティア王となった。

フラーテス4世(Phraates IV、在位:紀元前38年 - 紀元前2年)は、アルサケス朝パルティアの王(諸王の王、バシレウス・バシレオン)。領内各地での反乱に苦しみ、またローマから送られた女奴隷ムサを妻としたが、彼女によって暗殺された。

2009年04月09日

レゲエ(reggae)

レゲエ(reggae)は、1960年代後半ジャマイカで成立したポピュラー音楽。

一般的にはスキャンクなどと称されるオフビートを刻むギター、ワンドロップと称される各小節の3拍目にアクセントが置かれるドラム、ベースによるうねるようなベースラインなどの音楽的特徴によって定義付けられる。

直接的には同じくジャマイカのポピュラー音楽であるスカ、ロックステディから発展したが、ジャマイカの伝統音楽であるメント、アメリカ合衆国発祥の黒人音楽であるリズムアンドブルース、トリニダード・トバゴ発祥のポピュラー音楽カリプソ、ラスタファリアンの音楽であるナイヤビンギ、コンゴ発祥の音楽クミナ、さらにはマーチなど多様な音楽の影響を受け成立した。
レゲエと言う呼称の語源には諸説あるが、1967年版のジャマイカ英語辞典によると「レゲエ(Reggae)」は「ぼろ、ぼろ布,または口げんか、口論」という意味を表すスラングとして紹介されている[3] 。このスラングが転じていつしか音楽のスタイルを表すようになったとされる説が有力である。「レゲエ」という言葉が最初にレコードとして世に出たのは1968年、メイタルズによる楽曲『ドゥ・ザ・レゲエ(Do the reggay)』である。

語源にはいくつかの異説がある。 レゲエアーティストのデリック・モーガンは以下のように述べている

私たちは「ロックステディ」という名前が気に入ってなかったから『ファット・マン』の新しいヴァージョンを作ることにした。オルガンを使って地を這うようなビートに作り直すことにしたんだ。プロデューサーのバニー・リーはその変化を気に入ってくれた。そして彼はオルガンとリズムギターで「レゲッ、レゲッ」と聞こえるサウンドを創り出した。バニーはそれを「レゲエ、レゲエ、レゲエ」と呼び、他のミュージシャン達もそう呼ぶようになったのさ。

イギリスのレゲエ評論家、スティーブ・バロウはレゲエミュージシャン、クランシー・エクルズが使用した「女性と別れること」を意味するパトワ語、「ストレゲエ(Streggae)」が変化したという説を信頼に値するとしている。[6]しかし、メイタルズのリーダー、トゥーツ・ヒバート は以下のように反論している。

確かに当時ジャマイカで「ストレゲエ」という言葉はあった。例えば女の子が歩いているとき、誰かがその子を見ながら「なあ、あの子はストレゲエだな」なんて言ったりした。彼女はあまりお洒落じゃなくぼろっちいっていう意味さ。まあ、女の側も男達に対して同じ事を言っていたんだろうが。ある日の朝俺と友人達で遊んでいるとき俺はこう言ったんだ。「オーケー、レゲエをやろうぜ(Let's do the Reggay)」って。それはただ単に口をついただけの意味のない言葉だったんだが、俺達はすぐに『ドゥ・ザ・レゲエ、ドゥ・ザ・レゲエ』と歌いだして、ビートも創作していった。人々は後になってそのサウンドと名前は神から与えられたものじゃないかって言ったね。それ以前にはそういうスタイルの音楽のことをブルー・ビートとか色々な呼び方で呼んでいたんだがね。この話は今ではギネス・ワールド・レコーズにも載っているって訳だ。

また、ボブ・マーリーは「レゲエ」は「王の音楽」を意味するスペイン語であると主張していたとされる。 [9]さらに、2003年に発表されたゴスペル・レゲエのコンピレーション『To the King』のライナー・ノーツには「レゲエ」という言葉はラテン語で「王のために(To the king)」を意味する「regis」という単語に由来するという説が記載されている。

音楽的特徴 [編集]
一般的には、リズムギターまたはキーボードが、バックビート(裏打ち)と呼ばれる2、4拍にアクセントを置いて演奏される特徴的なリズムの形式によって、レゲエは定義される。しかしより厳密には、レゲエをより特徴づけているのは裏打ちではなく、むしろドラムとベースが作るリズムの形式である。

ボブ・マーリーの世界的ヒットなどを経て、レゲエのリズム様式はヨーロッパ各地、アフリカ、アジアなど世界中のポップ音楽の分野でもしばしば演奏されるようになった。また、異なるジャンルとのクロスオーバー(例えばジャズ、ロック、ヒップホップなど)も多く見られる。

また「レゲエのリズム」のことをジャマイカ英語で「リディム」といい、しばしば曲名ではなくリディム自体に名前がついている。

ドラムス [編集]
標準のドラムキットが一般的に使用されるが、スネアドラムはしばしばティンバレスのような非常に高い音にチューニングされる。スネアドラムにおけるリム・ショットは多用される。

レゲエのドラムビートは、ワンドロップ(One Drop)、ロッカーズ(Rockers)、ステッパーズ(Steppers)など、いくつかのカテゴリーに分けることができる。ワンドロップにおいては、1拍めにアクセントがなく、3拍目が強調される。この様なリズムは、ポピュラー音楽においては非常に珍しく、レゲエの大きな特徴の一つである。恐らくこのスタイルのドラムの最もよく知られた演奏者で、発明したとされる人は、ウェイラーズのカールトン・バレットである[要出典]。ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズの『ワン・ドロップ(One Drop)』の曲名は、このドラムビートに由来する。

スネアまたはリムショットによる3拍目の強調は、多くのレゲエのドラムビートに見られるが、ロッカーズのビートにおいては、スネアドラムはマーチングバンド風なフレーズを叩いている。その戦闘的とも取れるフレーズからミリタントビートとも呼ばれている。チャンネル・ワンというレーベルの専属バンドだったレヴォリューショナリーズが代表的な演奏者である。

ステッパーズでは、バスドラムは4拍すべてに固いビートを加える。ボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズの曲『エクソダス』がよい例だ。この曲でバレットは、4分の4拍子を刻む4つ打ちのバスドラムに8分の6拍子を刻むハイハットの3連打を絡めている。ステッパーズビートは、1970年代後期から1980年代初めのイギリスの2トーンやレゲエのバンドでも好んで演奏された。

レゲエドラムのその他の珍しい特徴としては、ロックやポップスなどと異なりシンバルを使ったフィルインが多用されないという点、しばしばハイハットでアクセントをつけず平板なビートを刻む点が挙げられる。

その他のパーカッションとしては、ボンゴ、カウベル、シェイカー、ビンギ・ドラム、近年ではMPC等様々な楽器が使われる。

ベース [編集]
標準的なエレキベースが使われることが多いが、中音域を徹底的に下げ、極端に重低音を強調した音にチューニングされる。 レゲエにおいてベースはうねうねとした特徴的なベースラインを繰り返し、転調もないことが多い。奏者はエレキベースを腰より上に構える。

ギター [編集]
標準的なエレキギターが使われることが多いが、曲によってはアコースティックギターも使われる。 特徴的な裏打ちをカッティングするリズムギターとブルース風やロック風のメロディを弾くリードギターがある。

ボーカル [編集]
レゲエには非常に多彩なボーカルスタイルが存在する。ソロ・シンガー、ボーカル・デュオ、ボーカル・トリオ、コーラスグループ、DJ、ボーカルとDJのコンビネーション、DJ同士のコンビネーション等である。 また、DJによるトースティング、シングジェイ(Sing-Jay)、アウト・オブ・キー(Out of Key)はレゲエ特有の歌唱法である。

セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド


2009年03月25日

富山地方鉄道16010形電車

1995年?1996年に富山地方鉄道が、廃車となった本系列の車体[15]に九州旅客鉄道(JR九州)の485系電車廃車発生品[16]であるDT32・TR69系台車・MT54形主電動機・CS15系制御器、ならびに京浜急行電鉄旧1000形のマスコンハンドルを同社の稲荷町テクニカルセンターで組み合わせ、16010形電車として落成させた。

導入当初はMc-M'-Tcの3両編成で、西武からは2編成分になる6両が譲渡された。なお、車両番号の推移は以下に示す。※カッコ内は西武時代の車両番号
元クハ5500形はトイレ・車販準備室を撤去し、その部分に4名分の座席と清涼飲料水の自動販売機とゴミ箱を設置した。
前面にあった西武鉄道の社紋が外され種別・行先表示器を運転台右側に設置した。
冷房装置の取替と暖房装置の強化。
パンタグラフは、モハ16010形奇数車の後位側に設置した。
歯車比は第1編成では当初485系そのままの3.50だったが、普通列車運用があり、最高速度も95km/h止まりの富山地鉄では高速寄りで使いにくく、第2編成では歯車比を、運転速度に合わせて国鉄近郊形並みの4.82で竣工させている。第1編成も後に変更された。
2005年から乗客数の減少により2編成ともMc-M'cの2両編成に再改造された。

クハ111・112は、モハ16012・16014に改造改番。
中間車は電装解除され、サハ111・112に改造改番。普段は稲荷町駅構内の車両基地に留置され多客時増結用で、その際はMc-T-Mc'の編成が組成される。しかし組み替え操作の煩雑さもあって殆ど増結の実績はない。
増結対応用としてT車にはユニット間用の引き通し線が設置されたほか、連結器は連結・解放が容易な密着連結器に交換された。
ワンマン運転対応化され、車内もデッキ仕切りと扉の撤去、運転台すぐ後ろに運賃箱が設置された。
後に改造された第1編成は再塗装された。現在でも同社の看板列車でもあるアルペン特急のみならず、各停にも投入されている。

保存車両
西武では横瀬車両基地にクハ5503が静態保存されている。1999年10月の西武トレインフェスティバルから、電気連結器や愛称板を登場した当時の状態に復元させた。また、横瀬車両基地の庫内にはクハ5507のカットモデルも保存されている。

おっくうこ リモデル ユズ ミドル マナ マスク スギラ フラフー フライング バスター コブラ フランジ モンキ 水平線 ジンジャー テーゼ なんぶ セリンリン アランス トブツ マイスタ オレゴンオイ ビヌーボー シルバ トレサパ プロセニ フィンエァ デフォルト ブギウギ ソマリア かぶき バイタル ガーネット ミラーボ ケンタウ バラライカ セクサ マダガス バチスト サポナリア ハンドル ストック スファレ イ長調 ミナレ ならく たびだち イージス スリリース ピクルス


2009年03月09日

ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者

1891年春、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長ジャネット・サーバーからドヴォルザークに音楽院院長職への就任依頼が届いた。ドヴォルザークに白羽の矢が立った理由は、彼がアメリカにおいても著名だったことがもちろんあろうが、それ以上にサーバー夫人がアメリカにおける国民楽派的なスタイルの音楽の確立を夢見ていたことから、チェコにおけるそれを確立した一人である(と一般に認識されていた)彼を招聘することで、そのような運動の起爆剤としようとした、との説がある(この流れから、「ドヴォルザークが就任を受諾しなかった場合、サーバー夫人はシベリウスの招聘を行う予定だった」との説が流布されたことがあったが、これは根拠に乏しい)。

ドヴォルザークは、初めこれに対して辞退の意志を伝えたが、サーバー夫人の熱心な説得と高額の年俸提示に逡巡した末、同年末に契約書に署名をした。年俸15,000ドルという提示額は彼がプラハ音楽院から得ていた金額の約25倍であるし、彼はこの時13歳を頭に6人の子の扶養を行っていたのである。

サーバー女史からは渡米後の1892年10月12日に第4回コロンブスによるアメリカ発見400年祭で演奏する新作の依頼があった。ジュゼフ・ドレイクの『アメリカの旗』という第二次米英戦争を題材にした合唱曲が当初の依頼の内容であったが、テキストの到着が遅れ代わりに作曲されたのが『テ・デウム』であった。1892年ブレーメンから船に乗り、9月27日にニューヨークに到着した。ドヴォルザークは街の印象をこう書いている。

「ほとんどロンドンのような巨大な街だ。(中略)私が流暢な英語を話したのでみんな驚いていた」
アメリカの人々はこの高名な作曲家の渡米を心から歓迎した。当時のアメリカは、音楽については新興国ではあったが、潤沢な資金でメトロポリタン・オペラやニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、あるいはアルトゥール・ニキシュが指揮者を務めるボストン交響楽団など高い水準の演奏が行われていた。しかし、自国の音楽家育成については緒に就いたばかりで、音楽院自体がその機能を十全には果たしていない状態であった。ドヴォルザークの音楽院院長就任はこうした状況打破に対する期待を持たせるものであった。1892年10月からドヴォルザークは講義を開始した。

1893年1月に着手した交響曲第9番「新世界より」は5月24日に完成するが、4月14日付けの友人宛の手紙の中でドヴォルザークは「この作品は以前のものとは大きく異なり、わずかにアメリカ風である」と書いている。この作品は、ロングフェローの『ハイアワサの歌』に多くをインスパイアされたと言われている。

1893年6月5日、ドヴォルザークはアイオワ州のスピルヴィルという小さな町を訪れた。この街は、ボヘミアからの入植者が住む町で、ドヴォルザークのアシスタント兼秘書を務めるヨゼフ・ヤン・コヴァジークの父親が聖歌隊長を務めていた。この街でのドヴォルザークの様子を「同国人らの中にいるという実感が祖国を思い出させるとともに、故郷にいるような感覚にさえしたようだ」とコヴァジークは回想している。そしてスピルヴィル到着の3日目には新作の弦楽四重奏曲に着手し、6月23日には速くもそれを完成させ、コヴァジーク家とドヴォルザーク家混成の弦楽四重奏団により試演された。これが「アメリカ」四重奏曲である。このような暖かい雰囲気に触れたためか、ドヴォルザークはできあがったスコアを、交響曲第9番や弦楽五重奏曲変ホ長調とともに、不仲であったジムロック社に委ねる気になった。ジムロック社はただちにこれを出版すべくブラームスに校訂を依頼し快諾を得た旨を作曲家に伝えた。ブラームスはこれに「作曲するときの楽しい様子を聞いて私がどんなにうれしく思っているか伝えてほしい」との伝言を添えて、ドヴォルザークをいたく感動させたのだった。

ニューヨークに戻ったドヴォルザークには再び激務が待っていた。1894年4月には、ニューヨーク・フィルハーモニーの名誉会員に推されるという栄誉を受けた。一方、グノー、チャイコフスキー、ハンス・フォン・ビューローといった優れた音楽家の訃報に触れ、さらには父親の病気を知り、1894年3月、ドヴォルザークは敬虔な歌曲集『聖書の歌』を作曲している。この年の夏は、秋には戻り契約を2年間延長する約束で、5ヶ月間の休暇を取り、ボヘミアに帰った。チェコに着くと彼はヴィソカーの別荘に直行し、住民たちの心温まる歓迎を受け、心からくつろいだ休暇を送ることができた。同年、10月ニューヨークに戻った彼は、強烈なホームシックに襲われ体調を崩してしまった。その一方で、この頃サーバー夫人の夫(ナショナル音楽院最大のパトロンだった)が1893年恐慌のあおりを受け破産寸前に追い込まれていたことから、ドヴォルザークへの報酬も支払遅延が恒常化しつつあった。11月8日からチェロ協奏曲に着手し、翌1895年2月9日にこれを完成させるが、これが限界だった。ドヴォルザークはサーバー夫人に辞意を伝え、周囲の説得にもかかわらず、4月16日にアメリカを去ったのである。

帰国後
帰国後もドヴォルザークはしばらく何も手につかない状態にあった。しかし1895年11月1日、プラハ音楽院で再び教鞭を執り始めた。作曲も再開され、アメリカを発つとき未完成のまま鞄に詰め込まれた弦楽四重奏曲第14番も1895年の年末には完成した。1896年3月彼は、最後となる9回目のイギリス訪問を果たす。この直後、ブラームスからウィーン音楽院教授就任の要請を受けるが、これを断った。アメリカ滞在や最後のイギリス訪問を通じて彼は、ボヘミアこそ自分のいる地だと思い定めたのだった。この後、ドヴォルザークは、標題音楽に心を注ぐようになる。カレル・ヤロミール・エルベンの詩に基づく交響詩の連作(『水の精』、『真昼の魔女』、『金の紡ぎ車』、『野ばと』)を作曲したのも1896年のことである。

帰国後のドヴォルザークには多くの名誉が与えられた。1895年、ウィーン楽友協会はドヴォルザークを名誉会員に推挙すると伝えた。同年ウィーン音楽省はプラハ音楽院への援助を増額する際に、ドヴォルザークの俸給を増額するようにと明記している。1897年7月にオーストリア国家委員会の委員となった。この委員会は、かつてドヴォルザークが得ていた奨学金の審査を行う委員会であり、才能ある貧しい若者を援助できることは彼にとってこの上ない喜びであった。さらに1898年には、それまでブラームスしか得ていなかった芸術科学名誉勲章をフランツ・ヨーゼフ1世の在位50周年式典の席で授けられている。
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こうして、さまざまな栄誉を身につけたドヴォルザークであったが、彼にはオペラをヒットさせたことがないという焦燥感があった。そしてチェコの民話に想を得た台本『悪魔とカーチャ』に出会い、オペラ創作に邁進してゆく。1898年から1899年にかけて作曲されたこのオペラは、1899年11月23日に初演されると大成功を収め、ドヴォルザークは、ジムロックからの要請にもかかわらず、他のジャンルには目もくれずに、次の台本を探し求めた。そして出会ったのが、『ルサルカ』であった。1900年4月に着手され、11月27日に完成したこの妖精オペラは1901年3月31日にプラハで初演されて再び大成功を収める。しかし、様々な事情でウィーンで上演される機会を逃し国際的な名声を生前に受けることができなかったことで、ドヴォルザーク自身は決して満足できず、これ以後もオペラの作曲を続けるが、最後の作品であるオペラ『アルミダ』(1902年 - 1903年作曲、1904年3月25日初演)は、初日から不評に終わってしまった。

1901年オーストリア貴族院はドヴォルザークを終身議員に任命し、同年7月にはプラハ音楽院の院長に就任した。しかし多忙のドヴォルザークの院長就任は多分に名目上のものであり、実務や組織はカレル・クニトゥルが執務した。

ドヴォルザークには、尿毒症と進行性動脈硬化症の既往があったのだが、1904年4月にこれが再発。5月1日、昼食の際気分が悪いと訴え、ベッドに横になるとすぐに意識を失い、そのまま息を引き取った。死因は脳出血だった。葬儀はその4日後の5月5日に国葬として行われた。棺はまずプラハの聖サルヴァトール教会に安置された後、ヴィシェフラド墓地に埋葬された。

2009年02月21日

ラリー・ニーヴン(Laurence van Cott Niven、1938年4月30日 - )

ラリー・ニーヴン(Laurence van Cott Niven、1938年4月30日 - )は、アメリカの小説家、SF作家。大胆なアイデアのハードSFを得意とする。
トウワ マリンシャ パスネ マイル 琴の波 日本検索 ジュピター ライム ティーカ トラック パワステ カラー ミューズ レイオフ テレホ レイヤ チャイナ ダリー バッケン セル ハイスク チャリス おおみ ウバイド ドレープ ぎおんうお かぼちゃ レコアダー フィール もちは チキン ブーバル つれあい マスカレ りざや ルマガ 伊予緋 すぺあみ スケルト 十二単 ストライプ ヒラタケ 仮面 エゴイス ゼノタイ クロスセル ドアマン パンダ アケミス サラサ

ニーヴンは非常に多くのSF短編・長編を著しているが、その最初の作品は『いちばん寒い場所』(The Coldest Place : 1964年)である。本作品の執筆当時、水星は太陽による潮汐力のために自転していないと考えられていた。本作品はその「固定された」水星の夜側を舞台にしたSF短編である。しかし皮肉にも本作品が出版される数ヶ月前に、水星は自転周期 : 公転周期=2:3の尽数関係をもって自転していることが明らかになった。

代表作は『リングワールド』(Ringworld : 1970年)だと見なされている。この作品で1970年度のネビュラ賞、ローカス賞、1971年のヒューゴー賞を受賞している。

また、グレッグ・ベアの長編『天空の劫火』(The Forge of God) の登場人物、ローレンス・ヴァン・コット (Lawrence Van Cott) は、ニーヴンをモデルにしている。

ニーヴン作品の多くは、かれが創造した「ノウンスペース(既知宇宙)」を舞台としている。このノウンスペースで人類は10を超える異星人種と太陽近辺の星々を共有統治している。なかでも「クジン族」や「ピアソンのパペッティア人」は作品中の主要キャラクターとしてしばしば登場している。

また、ファンタジーにおいては、マナと呼ばれる太平洋の島々の伝承における神秘的なエネルギーを、魔法の源たる有限の資源と設定して、それが枯渇しつつある古代世界を舞台にしたシリーズも発表している。このマナの設定は後に多くのファンタジーやゲームなどに流用されている。

近年は、その作品の多くをジェリー・パーネルやスティーヴン・バーンズと共作している。

作品一覧
(加筆希望)

長編
「ノウンスペース」もの

プタヴの世界(World of Ptavvs : 1966年)
中性子星(Neutron Star : 1967年): 短編集 ? ヒューゴー賞の短編小説部門を受賞
地球からの贈り物(A Gift from the Earth : 1968年)
リングワールド(Ringworld : 1970年)? ヒューゴー賞の長編小説部門を受賞
プロテクター(Protector : 1973年)
太陽系辺境空域(Tales of Known Space : 1975年): 短編集
不完全な死体(The Long Arm of Gil Hamilton : 1976年): 短編集
パッチワーク・ガール(The Patchwork Girl : 1980年)
リングワールドふたたび(The Ringworld Engineers : 1980年)
リングワールドの玉座(The Ringworld Throne : 1996年)
リングワールドの子供たち(Ringworld's Children : 2006年)
「ザ・ステート」もの

時間外世界(A World out of Time : 1976年)
インテグラル・ツリー(The Integral Trees : 1984年)
スモークリング(The Smoke Ring : 1987年)
上記以外のもの

神の目の小さな塵(The Mote in God's Eye : 1975年): ジェリー・パーネルと共著
神の目の凱歌(The Gripping Hand : 1994年): ジェリー・パーネルと共著
アヴァロンの闇(The Legacy of Heorot : 1989年): ジェリー・パーネル、スティーヴン・バーンズと共著
アヴァロンの戦塵(Beowulf's Children : 1995年): ジェリー・パーネル、スティーヴン・バーンズと共著
無常の月(All The Myriad Ways : 1971年): 短編集 ? ヒューゴー賞の短編小説部門受賞
ホール・マン(The Hole Man : 1974年):短編集 ? ヒューゴー賞の短編小説部門受賞
インフェルノ -SF地獄篇-(Inferno : 1976年): ジェリー・パーネルと共著
悪魔のハンマー(Lucifer's Hammer : 1977年): ジェリー・パーネルと共著
ドリーム・パーク(Dreampark : 1981年): スティーヴン・バーンズと共著
アナンシ号の降下(The Descent of Anansi : 1982年): スティーヴン・バーンズと共著
忠誠の誓い(Oath of Fealty : 1981年): ジェリー・パーネルと共著
降伏の儀式(Footfall : 1985年): ジェリー・パーネルと共著
天使墜落(Fallen Angels : 1992年) : マイクル・フリン、ジェリー・パーネルと共著

ファンタジー
ガラスの短剣(Flight of the Horse : 1973年): 短編集
魔法の国が消えていく

未訳
A Hole in Space : 1974年 : 短編集
Limits : 1985年 : 短編集
The Barsoom Project : 1989年 : スティーヴン・バーンズと共著
N-Space : 1990年 : 短編集
Achilles' Choice : 1991年 : スティーヴン・バーンズと共著
Playgrounds of the Mind : 1991年 : 短編集
Crashlander : 1994年 : 短編集
The California Voodoo Game : 1992年 : スティーヴン・バーンズと共著
The Dragons of Heorot : 1995年 : ジェリー・パーネル、スティーヴン・バーンズと共著
Destiny's Road : 1997年
Rainbow Mars : 1999年
The Burning City : 2000年 : ジェリー・パーネルと共著
Saturn's Race : 2001年 : スティーヴン・バーンズと共著

2009年02月05日

リョウ・サカザキ(Ryo Sakazaki、坂崎 リョウ)

初代『龍虎の拳』及び『龍虎の拳2』の主人公。『ART OF FIGHTING 龍虎の拳 外伝』では、外伝ということで主役の座はロバート・ガルシアに譲っている。
フラッド キャロ メッカ 輝きの季節 テアーゼ 上位シーン 枕千鳥 フェラテ マドラス ロマン カーボン ランク ソーホー タンプ パーティー タック ルトップ ハバナ スプレッ エンド オキサ スフマート らくだいろ ブタン カゲル キタス スタジャン ランチ シーネ ネッキ アビリテ オルガス ばなな みなせ クローバー キジムシ ガマ対策 モンテ ローコード コック ツァボラ メーター ごぼう ピギー ランナー エルシー こもづの チャド かてい ブルジュド

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズにも全作に登場している。他にも同社の格闘ゲームなどの作品に多数登場している。

キャラクター設定
リョウ・サカザキは日本で生まれ、8歳の時にアメリカへ渡る。ストリートファイトが横行しているある田舎町で育ち、両親と妹、そしてリョウの四人家族で暮らしていた。父であるタクマ・サカザキは極限流空手という武術の創始者であり、リョウも幼い頃よりタクマから武術を教え込まれていたのだが、少し気弱で優しい性格の少年リョウは人を傷つける極限流空手を何よりも嫌っていた。

リョウが10歳の誕生日を迎えた日、サウスタウンに出掛けていた両親が事故に遭う。母ロネットは死亡し、タクマも瀕死の重傷を負った。事故には不審な点が多くリョウは父を逆恨みする者の仕業であると確信していたが、幼い彼には成すすべも無く非力な自分を憎んだ。タクマは退院後、ロネットの仇を捜す為に街をさ迷い歩くようになる。そしてある日タクマはリョウが寝ている間に一枚の書き置きを残して失踪した。その時リョウには自分と同じ様に取り残された妹のユリがおり、ユリを養うために幼いリョウは死に物狂いで働き続ける。しかし所詮子供のリョウではどれだけ働いてもユリに満足な環境を与えてやる事は出来なかった。妹にだけは不自由な思いをさせたくない一心から多額のファイトマネーを目当てにストリートファイトへの挑戦を決意する。その時からリョウは心優しき少年から1人の闘神へと身を転じ、闘いの日々を送り続けた。幾度も打ちのめされ己の無力さを呪う夜が繰り返される、しかし決して信念を曲げる事なく闘い続け、様々な修羅場をくぐったリョウはいつからか優しき心と修羅の拳を持つ「無敵の龍」と称される程の格闘家に成長した。

現在のタクマはサウスタウンで暮らしており、そこで極限流道場を開設し日々門下生の指導に当たっている。リョウも現在は道場の師範代として経営を手伝い、タクマの創設した極限流空手を世界規模で広める事を当面の目標としている。

「虎煌拳」という必殺技を使うのは、同門のロバート・ガルシア(「最強の虎」と呼ばれ龍撃拳という必殺技を使う)と共に幼い頃タクマからお互いを讃え合う意味で授けられた。タクマ自身もライバル、リー・ガクスウ(『龍虎の拳』シリーズに登場するリー・パイロンの師匠)への敬意を以って「虎煌拳」を使用していたことに由来する。[1] 。また以後登場する極限流一門はみな「虎煌拳」を使用するが、単にタクマやリョウから教わったために「虎煌拳」となっているのに過ぎないと思われる。

人物
性格は大雑把で細かい事は気にしない。普段は口数が多い方では無くどちらかと言えば物静かだが、人当たりは良く面倒見も良い。我慢強く地道な努力を苦痛と思わない性質。ユリからは不器用で損な性格と思われている。

幼少時は格闘技に対して反発心を抱いていた。自分の意思がどうであれ、力が無ければ大切な者は守れない事を嫌というほど思い知らされたためそれゆえの防衛手段だと考えていたが、その経験を通じて武術は人を守る事も出来る、己を心身ともに強くする事も出来ると思うようにもなった。今では自身の境遇もあっての事なのか、格闘技や自分の闘う姿を通じて、興味を持った誰かが己の心身を磨き上げる、大切なものを守れる強さを身につける、そういう前に踏み出す事へのきっかけの一つにでもなれたら良いなと心に秘めている。

バイクを所持しており、『龍虎の拳』では下駄を履いてこれに乗るシーンが存在する。また『龍虎の拳2』では仲の良い牧場主から馬を貰っており、後に「タツマキ」と言う名がついた。

趣味の日曜大工は家具などの生活密着型の作品を手がける事が多い、出来具合は家族からも好評な様でサカザキ家でも使っている。家庭菜園は野菜や果物が主で、花や観葉植物なども栽培している。 音楽に付いてはよく分からないが、ライブのチケットが余ってしまったロバートに対して自分と一緒に行こうと誘っている事から嫌いでは無い様である。また、ユリから誘われて無理矢理カラオケへ連れて行かれる事もある(延々とユリの歌を聴かせられる)。少年時代の家庭環境のためか家事はそれなりに一通りこなせる、胴着なども自分で修繕している。

苦手な食べ物は漬物全般とユリの作る甘口カレー、カレー自体は好きなのだがユリの作るカレーは極端に甘いため苦手。しかしユリが甘口を好む様になった発端はリョウである。幼い頃リョウが食事にカレーを作った時、ユリが辛いから食べられないと言うのでユリのカレーを甘くしたのが始まり。それ以来ユリは甘口を好むようになり、自分で作る際にはリョウの分まで勝手に激甘で作るようになった。リョウが何度頼んでもユリが味を変えてくれないので渋々食べている。

ユリが格闘技をしている事をあまり快しとはしていない、ユリは最初リョウに極限流空手の師事を請うたものの、辛い思いを味合わせたくはない、危険な目に遭わせたくないという思いからリョウは大反対した。その後ユリはリョウに内緒でタクマから極限流空手を習い、後日その事を知ったリョウはその努力の跡からユリの強い意志を感じ取り納得はしたものの、大会に出場するなどの危険な事はしないで欲しいと願っている。ユリの実力そのものは認めている。

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズでは『The King of Fighters2001』以降貧乏という設定になっている。これは『龍虎の拳』におけるサカザキ家の事情と、『龍虎の拳2』のリョウのエンディングでロバートに借金があった上に、リョウの優勝賞金から借金を差し引かれて500円しか残らなかった描写を誇張したものだと思われる。『SNK VS. CAPCOM SVC CHAOS』でもリュウから「貧乏な方が龍だったな」と言われていた。なお、『龍虎の拳』シリーズでは人並みの生活はしていると開発者からコメントされており(龍虎の拳外伝 完全攻略マニュアル)、『龍虎の拳2』のエンディングもロバートの冗談だとコメントされていた(ネオジオフリーク)。

『龍虎の拳』シリーズの設定
『龍虎の拳』では、穏やかな日常を送っていたリョウとユリの兄妹に突如として事件が起こる。リョウの留守中にアパートが襲撃されユリが何者かにさらわれてしまった。激しい怒りに燃えるリョウはユリを救出すべく、親友のロバート・ガルシアと共にサウスタウンへ乗り込む。わずかな情報を手掛かりに捜索を続け、最終的に行き着いた空手道場で天狗の仮面を被った謎の格闘家と死闘を繰り広げる。そして決着を付けようとリョウが最後の一撃を放とうとした瞬間、囚われていたはずのユリが現れリョウを止めに入る。ユリはこの仮面の男が自分達の父、タクマ・サカザキであると言い、そして今回の誘拐事件は極限流空手の使い手であるタクマを操るため、Mr.ビッグがユリを誘拐したのだと説明した。ユリ自身は、倉庫に閉じ込められていたのをキレイな顔をした男に助けられたらしく、リョウはユリを助けた人物がキングであると知る。キングに多大な恩義を抱くと共に、いつか再会出来た時には恩を返す事を心に誓う。そしてリョウは今回の事件で自分の無力さを改めて痛感し、自らの技をさらに磨くため修行の日々を送る。

『龍虎の拳2』ではユリ誘拐事件から一年経ち、サウスタウンで開かれる格闘大会に出場する。決勝戦でMr.ビッグと闘い、勝利を収め優勝者となったリョウは今大会のコミッショナーに招待される。そのコミッショナーであるギース・ハワードはリョウに自分の手先となり、自分の野望を達成するための駒になれと告げる。拒否をするリョウに対し、ギースは消えろと言い放ちリョウを抹殺しようと襲い掛かる。二人の闘いはリョウが勝利を収め、ギースは逃亡し一応の決着を付けた。大会終了後、リョウはキングにユリの時の借りを返すためキングの弟ジャンの手術費用をロバートと共に支援した。タクマは自身の肉体が限界だと悟りリョウとユリに引退を告げる。タクマにこれからはお前達が極限流空手の歴史を作るのだと言われ、リョウは決意を新たに修行に励む事になる。

『龍虎の拳外伝』は前回の大会から半年後の話になっている。ある日ロバートから連絡があり、彼が急用でグラスヒル・バレーに行くと知らされる。そして間もなくガルシア家のエージェントであるカーマン・コールがリョウ宅へ訪ねて来た。カーマンからロバート捜索の依頼を受けたリョウはユリと共にグラスヒル・バレーへ赴く事となる。道中藤堂香澄から再戦の約束を取り付けられたり、香澄の母である志津子や、不破刃から日本へ来るよう誘われる。事件解決後、イタリアへ帰るロバートを見送るためユリと空港に行く。ロバートを心配するユリの気持ちを察していたリョウは、事前に用意していた航空券と旅費をユリに渡す。そしてロバートと一緒にイタリアへ行くよう背中を押し、二人の旅立ちを見送った。

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズの設定
『ザ・キング・オブ・ファイターズ』(以下KOF)シリーズでは家族全員で道場を経営しており、リョウも極限流空手道場の師範として生徒を指導している。道場経営を父に押し付け過ぎの感がある事に悩んでいて、そういう思いもあっての事なのか門下生の勧誘に熱心である。全世界に中継されるKOFの常連で優勝候補に毎回挙げられることから極限流の名前は広く知れ渡っているが、タクマとともに門下生に厳しい修行を課すため入門者が長続きしない(龍虎の拳シリーズでは極限流空手の技は危険などの理由から、一般向けに護身術程度で教えている)。それゆえに経営状況が思わしくないようで、たびたび貧乏な描写がなされている。

極限流の世継ぎ誕生を心待ちにしているタクマから早く身を固めて欲しいと望まれているのだが、リョウがその手の事に疎い性格のためタクマは無理矢理にでも縁談を進めようとする。リョウと身近な存在であるキングに目を付け、二人を結婚させようと日々画策している。極限流の未来を憂うタクマは生まれてくる子供の才能も考慮し、出来れば強い女性に嫁に来て欲しいと思っている。

『龍虎の拳』『KOF』シリーズ以外での設定
設定上『龍虎の拳』シリーズの時系列の後年にあたる『餓狼伝説SPECIAL』では、設定を無視し『龍虎』時の若い姿で登場している。そのためこの時のリョウは幻影ということになっている。後に発表された『餓狼伝説 WILD AMBITION』では設定に準じた壮年の姿(上は黒のスウェットシャツ、下は橙の胴衣に帯)で登場。同作ではサウスタウンの伝説の存在「Mr.カラテ」として語り継がれており、完成に近い円熟期とされている。

『武力』では、招待選手として坂崎リョウの登録名で出場(胴着の帯に名前の箇所が「亮」と表記されているが、こちらは本名では無い)。インストラクションカードには従来通り「リョウ・サカザキ」と表記されている。同作では初の公式大会出場と言う設定になっており、年齢は32歳で肉体のみではなく経験など総合的な面でピークに達し、心身のバランスが取れている全盛期という設定であり、黒の道着を着用し、顎鬚を蓄えて貫禄がついている。

『NEOGEO BATTLE COLISEUM』では、リョウの格闘家としての円熟期である『武力』時代の設定だが「二代目Mr.カラテ」名義で登場。姿と衣装は『武力』時のものがベースだが、『龍虎の拳2』時と同じ黒のグローブとレッグガードが追加されている。

『KOF MAXIMUM IMPACT』シリーズでは『2』以降、若い姿のリョウとは別に「二代目Mr.カラテ」として登場するが、こちらではタクマの様に天狗の面を着けている(手首には大きな数珠が巻かれている)。開発者のブログによると設定は『餓狼 MARK OF THE WOLVES』時代の49歳のリョウで、露出した肌などから歳をとった姿であるのが分かるが、アナザーカラーの方では顔が若々しくなり『WILD AMBITION』時に近い姿になっている。

容姿
髪は母譲りの金髪(金髪でも黄土色ぽかったりと作品によって毛髪の色も多少異なる)。金髪は劣性遺伝で黒や茶の方が強く遺伝するため、黒髪の父親と金髪の母親から生まれた子は通常黒髪になる。そのため、リョウが生まれつき金髪であるのはかなり珍しい事であるといえる(漫画版『龍虎の拳2』ではタクマにも白人の血が混じっている可能性があると考察されていた)。また、瞳や眉の色も作品によって異なっている。

髪型は後ろ髪が長かったり、それほど長く無かったり、全体的にもっさりしていたり、のっぺりしていたり、逆立っていたり、前髪を下ろしていたり、オールバック、真ん中わけ、ボサボサなど、作品やイラストによってバラつきがあり安定していない。

朱色や橙系(オレンジ)の胴着を着ている。この色にしている理由は「母親が初めて仕立ててくれたときの色だから」とのこと。初めてストリートファイトに挑んだ時、恐怖に押し潰されそうなリョウは母の形見である胴着に袖を通す事で自分を奮い立たせた。それ以来同色の胴着を着用していたが、年を経た姿の場合(例:武力)は黒色(グレー)の胴着を着ている。また『龍虎の拳2』では両手に黒のグローブ、両足に足の甲を守る黒いレッグガードを着用し、『KOF』シリーズでも『2002』から着用している。今でも母が仕立ててくれた胴着は押入れで大切に保管している。

髪形や皮膚の色などの身体的特徴以外でも橙胴着、黒胴着、白胴着(武力ONEの2Pコスチューム)など全然異なる格好をする事もあるが、同じ胴着を格好を着ていても裾を帯の下に出していたり、出していなかったり、胴着の下にシャツの有無、手甲、足甲の有無、帯や胴着に氏名や所属団体の有無など細かい所でバリエーションに飛んでいる。

体躯は作品によって色々絵柄が異なる事もあり、太めだったり細めだったり変わる事が多い。『龍虎の拳』シリーズではメーカーが細身の体付きだとコメントしていた(しかし作風のためかゲーム中では登場作品の中で一番たくましい体付きをしている)。

『ストリートファイター』シリーズとの関連
技、設定等はカプコンの『ストリートファイター』シリーズのキャラクターであるリュウ、ケンに似ていると指摘されている。上記ゲームは格闘ゲーム流行を巻き起こしたため、全盛の頃は多くの他社が参考にし、似たような技を持つキャラクターは多くいたが、『龍虎の拳』や『餓狼伝説』のプランナーは『ストリートファイター』の企画者と同一人物であり、安易な類似キャラクターと割り切ることはできず、むしろ異母兄弟に近いものがある。なお、『CAPCOM VS. SNK』シリーズでは、リュウとの対戦時に専用のデモが用意されている(『龍虎の拳』シリーズの様に、画面中央付近からお互いにバックジャンプで間合いを取る)。

また『ストリートファイターZERO』シリーズでは逆に、「ダン」というリョウとロバートをもじったキャラクターが登場。その後『頂上決戦 最強ファイターズ』においてはリョウのライバルとされ、二人でタッグを組むとタッグ名が「やめて! おにいちゃんズ」となる(『マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター』でダンのエンディングが『龍虎』エンディングのパロディとなっていた事に起因)。

技一覧
特殊技
ボディブロー
ローキック
アッパー
氷柱割り
ステップバックスウェー  
当て蹴り
風殺蹴り
虎戯打ち
客脚翔
踏み込み下段正拳
上段回し蹴り
釣瓶打ち
追上蹴り
膝嵐 中段キック
三角飛び
三角蹴り
上段受け
下段受け

必殺技
虎煌拳(空中版もあり)
虎煌撃
飛燕疾風脚
暫烈拳
ビルトアッパー(虎咆)
極限流連舞拳
極限流連極拳
死兆拳
気力充実
猛虎雷神刹
猛虎雷神剛
虎咆疾風拳
ビール瓶切り
両手突き(もろてづき)
猛威虎殺掌

超必殺技
覇王翔吼拳(空中版もあり)
龍虎乱舞(バグとして空中版あり)
天地覇煌拳
極限虎咆
真・鬼神撃
虎殺陣

2009年01月21日

漂着神(えびす)

島嶼部性(とうしょうぶせい)の高い日本において「寄り鯨」・「流れ鯨」[3]と呼ばれた漂着鯨[4]もエビスと呼んで、後述のような資源利用が盛んであり、「寄り神信仰」の起源ともいわれている。特に三浦半島や能登半島や佐渡島などに顕著に残り、伝承されるている。寄り鯨の到来は、七浦が潤うともいわれ、恵比寿が身を挺して住民に恵みをもたらしてくれたものという理解もされていた。もっとも土地によって逆の解釈もあり、恵比寿である寄り鯨を食べると不漁になるという伝承も存在した。

水神
本来は海浜地域において海上の安全や大漁祈願などの「漁業の神」として祀っているが、内陸部においても河川や水源の近くにある岩や石を鯨と見立てて、鯨石や鯨岩と呼び、治水や水源の「水の神」として祭っている地域も幾つか存在する。

神聖視(日本以外)
ノルウェーなど北欧でも鯨が魚を追い込んで豊漁をもたらすとの伝承があり、これもイワシクジラにサイ[5]という魚が付き、それを集めるとされている。

ベトナムではクジラのことを Ca Ong (カオン)と呼んで古くから信仰対象としてきた。この Ca Ong は「Sir fish」、言わば「魚卿」とでも表すべき語義を持っている。

クジラの利用

鯨油
鯨油はクジラの脂皮や骨などから採取した油であって、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ等のヒゲクジラ類からとったナガス鯨油と、マッコウクジラ、ツチクジラ等のハクジラ類からとったマッコウ鯨油があるが、単に鯨油といった場合は前者を指すことが多い。

鯨油は古くから灯用、セッケン原料、グリセリン原料、製革工業、減摩剤等に使用されていたが、近年では硬化鯨油として食用油(マーガリン原料など)、化粧品原料などさらに広範囲に利用された。 尚、クジラ一頭から取れる油量はシロナガスクジラで約120バレルである。シロナガスクジラからとれる油量は他のクジラからとれる油量の最小公倍数であった為、捕鯨頭数などはシロナガスに換算して表示された(BWU方式)。(詳細は鯨油参照)

鯨ひげ
「鯨ひげ」はヒゲクジラ類にのみ見られる部位で、上あごの本来歯が生えるべき部分の皮膚が変化してできたものである。爪と同じく終始のびつづける特性を持ち、両側あわせて600枚近くになることもある。鯨の髭は捕食の際に歯の代りを行うもので、ヒゲクジラ類は大量の海水とともに餌を吸いこんだ後、海水だけを吐きだして餌だけを食べるのだが、このときに餌を口のなかにとどめておくフィルターの役割を果たすのが髭である。主な餌の違いから、鯨種によって形状・性質はかなり異なる。

鯨の髭は適度な硬さと柔軟性、軽さを備えており、捕鯨の発達した地域では、プラスチックがなかった時代には工芸などの分野で盛んに用いられた。特にセミクジラのものが長大で柔軟なため珍重された。日本における鯨の髭の利用は釣竿の先端部分、ぜんまい、裃の肩衣を整形するための部品など多岐にわたるが、特に有名なのは呉服ざし(ここからいわゆる「鯨尺」という単位の名が生まれた)と文楽人形の頭を動かすための操作索である。西洋ではコルセットやドレスの腰を膨らませるための骨としても用いられた。(詳細は鯨ひげ参照)

鯨肉
古くからクジラから採取した肉や皮を食べる習慣がある国や地域が存在する。 インドネシア、フィリピン、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド、フェロー諸島、アラスカ、カナダなどであり、民族的・文化的な伝統の食材として、調理法も多岐に渡っている。日本でも多様で高度に洗練された調理法が存在し、和食文化の重要な一部分を占めている。食用部位も赤身の肉のみならず、脂皮や内臓、軟骨など国や地域によって多様である。イギリスやフランスなどの西ヨーロッパでも食用習慣がなかったわけではないが、近海資源の枯渇などから消滅した。(詳細は鯨肉参照)

鯨骨
鯨骨(クジラの骨)は先史時代から世界各地で狩猟具として加工利用されてきた事が、貝塚の発掘から判明しており、日本においては縄文時代や弥生時代の遺跡から狩猟具だけでなく、工業製品を加工する作業台や、宗教儀式で使われたと推察される装飾刀剣が発見され、色々な形でクジラの骨の利用がなされてきた。

江戸時代には鯨細工として根付を始め様々な工芸品を生み出し日本の伝統文化として受け継がれている。近代において、マッコウクジラの歯は、象牙などと同様に彫り物などの工芸品に加工されることがある。パイプや印材などに用いられた例がある。

古来からイヌイットは木の育たない環境で生きてきた為、住居の骨組みにクジラの骨を使っている。また近年ではカナダ、アメリカの先住民であるイヌイットや、ニュージーランドの先住民であるマオリが、歴史的にクジラを利用してきた経緯から、クジラの歯や骨を加工した工芸品を作製している。

イッカクの牙は、中近世では薬として用いられた(ただし、一角獣の角とされ、鯨の歯であることが知られずに使われる事も多かった)。 (詳細は鯨骨を参照)

その他
残滓の利用
鯨油の採取後の絞りかすや、食用外の肉などは、肥料用に使用されることがあった。日本では鯨肥と呼ばれた。肉・骨・皮などを煮て石臼などで粉砕したものであり、鰯肥などと同様の海産肥料として使われた。江戸時代から鯨油の絞り粕の再利用等として行われている。ただし鯨油の採取後の絞りかす(油かす)は食用にされることもあった。
明治時代以降に近代捕鯨基地として使われた宮城県牡鹿町鮎川浜(現石巻市)などでは、鯨肥生産が地場産業として栄えていた[6]。
食用習慣の無い多くの近代欧米諸国では、採油に向かない赤身の主要な用途であった。同様に飼料用にも用いられたことがある。特に毛皮用のミンクの飼料に多く用いられた。イギリスなどではペットフード用にも用いた。
特別な部位
マッコウクジラ頭部のメロン体周囲の繊維束(千筋)は、テニスラケットのガットに用いられた。メロン体の皮膜は、太平洋戦争中には皮革原料に使用された。
一部の部位は薬品類の原料にも用いる。肝臓からは肝油が採取される。脳下垂体や膵臓、甲状腺などからはホルモン剤が生産されていた。
マッコウクジラの腸内生成物は竜涎香と称し、香料として珍重された。

鯨が食す餌の消費量
財団法人日本鯨類研究所の計算によると、世界中の鯨が食する餌の消費量は魚、イカなどの軟体動物、オキアミなどの甲殻類を合わせると、2.8?5億トンとされている。これは、世界中の人間の魚の消費量9千万トンの3倍?6倍と計算される。クジラが捕食するバイオマス(生物資源)の量は、捕鯨との関係から議論の対象となっている。
オーチャド ライカ フリー カクタス とかく の波 くつわむし ウォーム 聖護院かぶ デッドラ ジッダ プチ フェイク カプジ ビドム ニウム ぽぽー タンメン チエンマ かなぎ オファー アパシー スコープ ネバー ウーマンレディー イースター トーキー シュリ なっぷる 愛燦燦 マース マズルカ オシレ ラミンゴ バンス チーズバ スナイ サラセニ グリーン 夜長鳥 アバウト プレース バイアス デカダンス フラクタル シーケ イヌビユ パートナ 新秋柿 ノッキング

然し、例えば南極で餌をとる南半球の鯨は年間数千万トンの余剰資源がある[7]とされるナンキョクオキアミを主として消費すること、マッコウクジラは主に深海の軟体動物を食べることなど、人間の漁業と直接は競合していない部分の方が遙かに大きい。また、「世界中の鯨」には明らかに歯鯨やイルカなど捕鯨対象種以外の種を含んでいる。

食物連鎖の説明の際にクジラやイルカは「生態ピラミッドの頂点」とされるが、正確には頂点にいるのはその下の階層のアザラシなどを捕食するシャチのみであり、他のクジラやイルカは生態系ピラミッドの端から捕食(魚類やイカ類、プランクトンは比較的低い階層にある為)している[8]。

その他、捕鯨問題#自然保護問題としてのクジラの鯨食害論も参照。

注記
^ ザトウクジラの一部は赤道を越える。
^ イルカを含め鯨とした。詳しくはクジラを参照。
^ 「流れ鯨」、「寄り鯨」の意味については捕鯨を参照。
^ ほかに漂着物や水死体などをも同様の信仰対象とした例がある。詳細はえびす参照。
^ Sei、スズキ科の魚。イワシクジラの英名のSei Whaleもそれに起因する。なお、北欧の事例については後にはキリスト教と結びつけられて、神が漁獲の助けとしてクジラをもたらしてくれているとの説明が教会関係者によってされたこともあったようである。ある教会関係者は、漁民が争いごとを起すと、神の不興を招いてクジラが助けてくれなくなるとの説明をしているが、一般的理解であったかどうかは不明である。
^ 鮎川浜の場合、食用に適さないマッコウクジラが対象鯨種であったことなどから食用とされた鯨肉はごく一部であり、余剰鯨肉が生じていた。これらは当初は海洋投棄されていたが、周辺海面を汚染するとして地元漁民の反発を受けたこともあって工業資源化され成功したものである。
^ ナンキョクオキアミ#地理的分布の「南極圏の生態系における地位」及び「バイオマスおよび生産量

2009年01月14日

恐るべき未来

原作の時間軸は、外伝『すぺしゃる』が本編より前の話で、本編は、第8巻『死霊都市の王』までが第一部、第9巻『ベゼルドの妖剣』以降が第二部と分けられている。また『すぺしゃる』も第8巻『恐るべき未来』を境にして第一部・第二部と便宜上分けられている(第二部からは原則として前後編の構成となり、中編作品ともいえる)。
ハンド パーム ドシア バンス ソルト オース サイバ レスト ソナー プラハ デイする 未来の喜び 足跡 せきりん シーツ 金乃竹 ブルーロー ダンエス サイエン パネル 風の華 ファイア レーション フレット リファレンス マルチーズ キールサエ ヤグルマ草 平核無柿 バイバイ オースチン はそく トウヒ ラスト フレーク ヒストリー デコル かおう 百の城 イヤー ケイブ ならたけ ワインリス ユーロス 沖の石 クイック たてじま なみがさね 汽車ポッポ モノローグ


『すぺしゃる』
姉の「世界を見て来い」の一言がきっかけで旅にでた、自称天才美少女魔道士リナ=インバース。魔道技術や観光にも興味を示すものの、行き先の決め手となるのはやはりおいしい食べ物のあるところ。旅の途中、白蛇(サーペント)のナーガと名乗る、自称リナのライバルである非常識な女魔道士と知り合い、以後金魚のフンのように事あるごとにナーガにつきまとわれる。リナは世界各地で仕事の依頼を受けつつ、ナーガを始めとした様々なキャラクターと珍騒動を繰り広げる。
第1巻『スレイヤーズ!』
旅の途中、リナがいつものように森で盗賊に絡まれているところを、通りすがったガウリイが成り行きで助ける。ガウリイは見た目がまだ頼りないリナの保護者をかって出、アトラス・シティまでの道筋を同行する。一行は途中、賢者の石を狙うゼルガディス、賢者として名高い赤法師レゾと対峙する。幾多の攻防の末ゼルガディスはレゾを裏切り、レゾは念願の賢者の石を手に入れるが、同時に魔王として覚醒する。リナ達は苦戦を強いられるものの、何とか覚醒したレゾを打ち破る。アトラス・シティ到着後、リナはガウリイの持つ伝説の武器「光の剣」に興味を示し、旅を共にするようになる。
第一部
リナ達一行はその後も旅を続けるが、関わる様々な事件全てに何故か魔族が絡んでくる。そしてアメリアや謎の神官ゼロスらを一行に加え、徐々に話の核心へと近付いてゆく。ゼロスの導きで異界黙示録(クレア・バイブル)に辿り着いた際、ついに冥王(ヘルマスター)フィブリゾが姿を現し、魔族の反逆者魔竜王(カオスドラゴン)ガーヴと共に、リナが魔族と関わりあってきた原因が明らかになる。それはリナがレゾを倒した際に使用した「重破斬(ギガ・スレイブ)」というオリジナルの術が、「金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)」という魔王や神を超越した存在から力を借りたものだったからであった。その力で世界を滅ぼそうと(混沌に戻そうと)画策するフィブリゾと、それに異を唱え妨害を続けるガーヴ。これまでの事件はそれぞれが陰で糸を引いていた結果だった。しかしガーヴはフィブリゾの力の前に為す術なく敗れ、リナは人質となったガウリイを救うべく、フィブリゾと対峙することを決意する。
第二部
リナとガウリイは、第一部のラストで失った「光の剣」に代わる武器を求め、二人で旅を再開する。途中ルークとミリーナというトレジャーハンターコンビと知り合うが、求めていた伝説の武器はなかなか手に入らない。そんな中またも各地で起きる不吉な兆候を示す事件の数々。それらの事件は竜族の長老ミルガズィアによれば、今度は覇王(ダイナスト)グラウシェラーが約1000年前に起きた降魔戦争を再現しようと画策しているのではないかと教えられる。リナ達はそれを回避すべく奮闘するが、ついにある事件が元で秘められていた赤眼の魔王シャブラニグドゥの一片が覚醒してしまう。再び伝説の魔王との決戦がはじまる。そしてリナ達はやがて『魔を滅せし者達(デモン・スレイヤーズ)』として伝説になる。

登場人物
スレイヤーズの登場人物および スレイヤーズの超常的存在を参照


既刊一覧
スレイヤーズ (本編 全15巻)2部構成。第1部は1?8巻まで。第2部は9?15巻。

赤字:新装版
スレイヤーズ! (1990年1月17日、ISBN 978-4829123454、ISBN 978-4829132883)
アトラスの魔道士 (1990年8月20日、ISBN 978-4829123690、ISBN 978-4829132890)
サイラーグの妖魔 (1991年2月18日、ISBN 978-4829123881、ISBN 978-4829132906)
聖王都動乱 (1991年10月17日、ISBN 978-4829124123、ISBN 978-4829132968)
白銀の魔獣 (1992年7月13日、ISBN 978-4829124543、ISBN 978-4829132975)
ヴェゼンディの闇 1993年3月12日、ISBN 978-4829124956、ISBN 978-4829132982)
魔竜王の挑戦 (1993年12月10日、ISBN 978-4829125366、ISBN 978-4829133088)
死霊都市の王 (1994年7月28日、ISBN 978-4829125755、ISBN 978-4829133095)
ベゼルドの妖剣 (1995年6月20日、ISBN 978-4829126332、ISBN 978-4829133101)
ソラリアの謀略 (1995年12月21日、ISBN 978-4829126585、ISBN 978-4829133392)
クリムゾンの妄執 (1996年7月25日、ISBN 978-4829126936、ISBN 978-4829133408)
覇軍の策動 (1997年4月18日、ISBN 978-4829127407、ISBN 978-4829133415)
降魔への道標 (1998年11月27日、ISBN 978-4829128565、ISBN 978-4829133484)
セレンティアの憎悪 (1999年7月21日、ISBN 978-4829129043、ISBN 978-4829133491)
デモン・スレイヤーズ! (2000年5月10日、ISBN 978-4829129661、ISBN 978-4829133507)
第1巻のみ、表紙イラストが、初期の版の「リナが魔法を炸裂させるシーンを正面から煽り」から、途中の版より「リナとガウリイの2ショット」に差し替えられている。
上記とは別に、2008年から再び表紙イラスト、巻末あとがきが差し替えられたもの及び作者による一部加筆修正されたもの(新装版)が随時発売している。